【随想】狭間の人ーバブル期と就職氷河期世代の狭間で生きてきたハザマさんの話ー(1/4)

ハザマさんイラスト1 Essay

かつて「バブル期(1986年12月から1991年2月頃)」や「失われた20年(現在、30年と言われているが就職率は以前より回復)」という就職氷河期があったことを実体験として知らない人も多くなったという。

これは、そんなバブルと就職氷河期の狭間(ハザマ)の人の話だ。

仮に「ハザマさん」と呼ぶ。

ハザマさんはとにかく注目されない。

世間の関心をするりとかわし、その存在はまるで透明人間の如くである。

ハザマさんは狭間エピソードに事欠かない。

だからハザマさんが時代や世間の狭間に、確かに実在することを証明するためにこの記事を書いた。

バブルと就職氷河期の狭間

ハザマさんは、もちろん(狭間の)中間子である。

親戚一同、両親から大注目され、祖父母の初孫である長女、姉が生まれた。

その後、待望の男子、長男の弟が誕生。

あれ? ハザマさん…は?

両親が長男の前に次女がいると気が付いたのは、弟の世話を頼める便利な存在がそこにいたことからだった。

そんなハザマさんは家族から特に注目されることなく、ぼんやりと空想しがちな子に育った。

中学校の修学旅行先の遊園地は、姉の学年まで富士急ハイランドだったが、ハザマさんの年だけ、なぜか登山だった。

弟の学年からは東京ディズニーランドである。

ハザマさんが高校1年生の頃、先輩たちのトレンドは長いスカートだったのに、高校3年生になるといつのまにかミニスカートがトレンドになっていた。

高校生の頃にバブル期到来、時代のアイコンとして「女子大生」が世間でもてはやされたが、ハザマさんが大学生になると「女子高生」が注目されていた。

異常な好景気だったバブル期のハザマさんの通う高校の進路指導は、「大学卒業資格を持って(できる限り)大企業に入社する」が全てだった。

ハザマさんは勉強が苦手で、いつも空想しては落書きをしていたので、「絵を描くことで大学へ行こう」と美術大学に進学した。

大学時代にバブルが崩壊。

もともと美術大学出身者の就職先は地元でなかなか見つからなかったが、それでもバブル期は美術の市場は多少はあったのだ。

「バブル崩壊」をそれと認知しないまま、なんとか就職先を探し出す同期たちがいる一方で、そのままアーティストとして生きていくことが可能な、経済的余裕のある家庭の者もいた。

その狭間にいたのがハザマさんである。

工業製品のことなど一度も口にしなかった女友達が、急に地元では大手という製造会社の就職活動に目覚めたり、教師になるつもりはないが、教員免許だけは取得しておくという友人もいた。

生涯を捧げる情熱を持てる職に就くのがあるべき姿だと思っていたハザマさんは、例え関心がなくても、大人の事情で企業に就職したり資格を取得することは普通のことなのだと、その時初めて知った。

ハザマさんはよく言えば、あまりにも純粋だったのかもしれない。

純粋過ぎたハザマさんは、自分が考えていたものとは違った物足りない学生生活に疑問を持ち、大学を休みがちになった。

そしてとうとう留年。

就職氷河期世代と一緒になる。

生まれ年からバブル期の人として扱われているが、実際は氷河期の人であるのがハザマさんである。

結局、望まない学生生活を続けることで奨学金返還額が増えていく一方である恐怖に耐えられず、ハザマさんは大学を中退した。

理想(プロになること)と現実(生計を立てること)の狭間

ハザマさんは、アカデミックな技術より実用的な伝統工芸職人の技術を身につける方が納得がいく人生を歩めるのではないかと、持つ筆を替えることにした。

後継者不足に悩む地元伝統産業への貢献にもつながり、それこそ生涯にわたって情熱を注げるのではないかと考えたからだ。

友禅職人を訪ねる。

「修業したいなら、毎日通いで夕方まで、給料はありません」

訪問した日は教室が開催されており、生徒の小学生が、障がい者アーティストとして既に活躍中だと聞いた。

ハザマさんは奨学金という借金を抱えた上に生活もあり、職人デビューの道を一瞬で諦めた。

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