【随想】狭間の人ーバブル期と就職氷河期世代の狭間で生きてきたハザマさんの話ー(2/4)

ハザマさんイラスト2 Essay

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アナログとデジタルの狭間

ハザマさんは生活費を稼ぐため、新聞やタウン情報誌の求人欄、口コミでアルバイトを探し、掛け持ちした。

まだ、インターネットの情報に触れる機会がほぼなかった時代である。

90年代後半の日本の携帯電話、パソコン普及率はまだわずかで、パソコンを1台手に入れるのに20万円は必要だった。

それから企業にパソコンが導入されるようになり、会社でパソコン研修などがあったようだが、学生生活や家庭生活の日常の中にパソコンやインターネットはまだほとんど存在していなかった。

だから、ハザマさんらパソコン狭間世代は個人でパソコンスクールに通うなどして、能力(ワープロ検定資格など)を身につけ示すことでデータ入力などの職の応募の際に少し有利になるという状況だった。

応募先の提出条件であった、パソコンから印刷した応募書類を作成するためだけにネットカフェに行った。

ハザマさんは派遣社員として採用された。

パソコンの実務経験がほぼないため、入力作業ではなく、主に書庫から紙のファイルを探し出してくる仕事に配属された。

書庫に積み上げられた重い段ボールの中から、黒い紐で閉じられたような紙の束の手書きの資料を都度探し出し、データ入力班に渡す。

何度も往復して書類を出し入れし、来る日も来る日も入力作業が行われていた。

とにかくこれまでの全ての紙のアナログデータをデジタルに変換する作業が必要で、ちょど日本のデータ転換の狭間の時代だったのかなと思う。

親と世間の狭間

そんな中、ハザマさんに見合いの話があった。

でも、お相手の方はほとんど中国に出張中で日本にいることがなく、会う機会もなく立ち消えた。

バブル後の景気停滞で、コスト削減のためか日本の多くの大企業がアジア諸国で事業展開を始め、現地のパフォーマンスを最大化するために人財、技術など資本を全力で投入していた。

例え日本に技術を継承する若者がいても、そしてその若者が次の世代を支える子育てできる環境を整えられるよう安定した正社員として雇うことは後回しにしても、外国に投資することを選択した企業もあったと思う。

前年の業績を下回らないよう今日の利益を優先しなければ生き残れなかったのかもしれない。

日本にいるハザマさんの周囲の結婚対象になりそうな異性は、必然的に同じような状況の非正規雇用労働者がほとんどだった。

当時の派遣社員には、交通費の支給や有給休暇、手当などがなかった。

高度経済成長期でもなく景気が停滞していて未来が見えない中、将来に不安を抱えたたまま、非正規雇用労働者同士で結婚生活に踏み切るには皆、躊躇する気持ちがあったと思う。

にもかかわらず、世間では貧困(当時は自己責任と言われていた)で家を出られない、実家住まいの社会人を「自立しない我儘な若者」、「パラサイト」と呼び批判する声が上がっていた。

両親は、世間体が悪いことからハザマさんに家を出るように言った。

家を出たハザマさんはバイト先の主婦から「地元にいるのに親を置いて独り暮らしをするなんて、なんて自分勝手な娘なのかしら」と言われた。

親と世間の狭間でハザマさんは悲しみに暮れた。

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