【随想】「文化の日」に「文化的な憲法」について考えた

三鷹市山本有三記念館 Essay

「文化的」とはどういうことか

はじめに、宮沢賢治の童話を一つ紹介する。

注文の多い料理店』(青空文庫より)だ。

『注文の多い料理店』のあらすじ

2人の若い紳士が犬を2匹つれ、イギリスの兵隊のかたちをして、山に狩猟にやってきたところから始まる。
山の奥深くに入り過ぎて犬が死んでしまうと、紳士たちは、犬の命を惜しむどころか「お金が無駄になった」という。
2人は山奥で道に迷い、お腹が空いていたところで1軒の西洋料理店を見つけて入る。
一見「親切な案内」に見える沢山の「注文」に従い、「貴族とちかづきになるかも知れないよ」とわくわくしながら次々と扉を開け、店の奥へと進んでいく。
ところが、「からだ中に塩をもみ込んでください」という注文段階になって初めて、実は「西洋料理を、来た人に食べさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家」だと気づく。
2人が紙くずのような顔で泣きわめいた途端、死んだと思っていた2匹の犬と地元の猟師に助けられる。
そして、地元の漁師に団子をもらって腹を満たし、山鳥を買って東京に戻る。
紙くずのようになった2人の顔は、もうもとのとおりになおらなかった。

この話の紳士たちは、後で自分たちの命を助けてもらうことになる犬が死んだとき、犬の命ではなく財産損失の計算をしている。

また、彼らは自分たちが「食材」になりつつある段階で、「貴族とちかづきになるかも知れないよ」などとはしゃいでいて、ぎりぎりまで自分たちが食べられることになるという、危うい状況を理解していない。

私には、この紳士たちよりも犬や猟師の方が「紳士」的で「文化的」(人道的)な気がするのだが、皆さんはいかがだろうか。

日本国憲法公布の日が「憲法記念日」ではなく「文化の日」になった理由

さて、「文化の日」は、

自由と平和を愛し、文化をすすめる。

国民の祝日に関する法律第2条

日なのだそうだ。

「憲法記念日」は、日本国憲法「公布日」(1946年(昭和21年))の11月3日ではなく、半年後の「施行日」の(1947年(昭和21年))5月3日になっている。

「憲法記念日」が、なぜ「公布日」ではなく「施行日」に決まり、「公布日」が「文化の日」になったのか。

   ◆◆◆

それは、1948年(昭和23年)制定当時、GHQ(連合国最高司令官総司令部)側が「11月3日だけは絶対にだめだ」と主張したからだそうだ。

参議院文化委員長として祝日法制定の際、中心的役割を担った、山本勇造(山本有三)が朝日新聞に随筆を寄稿している。

山本有三は、『坂崎出羽守』、『女の一生』、『真実一路』、心に太陽を持て、『路傍の石』、『米百俵』などの作品で知られる劇作家、小説家でもある。

三鷹市山本有三記念館に、そのいきさつが書かれた記事が展示されていた。

「文化の日」が決まるまで(昭和35(1960)年11月6日朝日新聞)

GHQのCIE(民間情報教育局)の企画のホウジェ課長は言う。

(日本側は)憲法公布は11月1日にやるはずであったにもかかわらず、半年後の施行日がメーデーと重なるという理由で11月3日に変更した。
連合軍の中には、前イギリス代表であったオーストラリアのマクマホンポール氏の「日本が明治節を温存し、ふたたび復古的な日本に立ち返ろうとしている。(マッカーサー)元師は甘い。日本にだまされているのだ」という意見もあり、この日を憲法記念日として許可するわけにはいかないという。

この後、山本勇造は英語に巧みな参議院専門委員、岩村忽の力を借り、もう一度ホウジェ課長に交渉する。

「あなたの内あけ話をうかがった以上、憲法記念日は5月3日にします。しかし、この際、一つだけ、あなたに思いだしていただきたいことがある。アメリカの独立記念日は、独立宣言をした日であるか、独立が完了した時であるか」

「それはもちろん宣言した日である」

「われわれが十一月三日を固執しているのは、これが新憲法の発布の日だからである。マクマホンポール氏の意見は難くせに過ぎない。この記念すべき日を祝日から除いてしまったら、今後、新憲法はどうなるか。われわれは新しい憲法によって、新しい日本を作りあげてゆきたいのである。この日が消えてしまったら、国民は新憲法に熱意を失うと思うが、あなたはどう考えますか。われわれは、なんか、ほかの名まえにしてでも、この日だけは残したいのです」

昭和35(1960)年11月6日(日)朝日新聞 随筆 「文化の日」が決まるまで

そこで「つごうによっては、考えてみてもよいが、復古的なにおいのするものであっては、絶対に許可しない」という返事を得、

「新憲法は、戦争放棄というような、世界に類例のない条文を持った憲法である。こんな文化的な憲法はない。」

ということで「文化の日」という名称にしたところ許可されたという。

こうしたいきさつから、「文化の日」という名称の日本国憲法公布の記念日が残ったのだそうだ。

「憲法」は、国家権力や法律の上位にある最高法規

「憲法」について調べてみた。

憲法は、法律とは違う。

憲法は、国の法体系の最上位(法律より上位)にあたる「最高法規」である。

この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
② 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

日本国憲法第98条

我々はよく俗用で政府を「お上」と称することがあるが、その「国家権力」が従うべき法規範が「憲法」ということなので、「憲法」こそが、いわば実際的な「お上」だといえるかもしれない。

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

日本憲法第99条

「法律」は、「憲法」を反映して国会で作られる、国民向けの法規範

「法律」は、国会が「憲法」を反映して作る国民向けの法規範。

国は「憲法」に違反した「法律」を作ることはできず、違反した法令および国務に関する行為などは無効となる。

なので、国と国との約束、条約も憲法に違反しないように作る必要がある。

法規が違反しているかどうかは、「違憲立法審査権」を持つ裁判所が、それを審査し、判断する。

最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

日本国憲法第81条

過去の違憲判決の一例(憲法共同センターHPより)

・「名古屋高裁イラク派兵違憲判決の意義

・「イラク派兵違憲判決と派兵恒久法

「日本国憲法」は「立憲主義」の理念に基づく

「日本国憲法」は、「立憲主義」(「個人の尊重」と「法の支配」の原理に立つ憲法で政治権力を規制し、政治を行うという原則)に立脚し、「国民主権」「基本的人権の尊重」「恒久平和主義」などを基本原則としている。

昭和二十一年憲法 日本国憲法 から条文に比べ、改めて読むことがあまりないと思われる前文を見てみよう。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本国憲法前文
有三記念公園

憲法条文は、第1条、第9条、第11条、第12条、第13条、第14条、第15条、第24条、第25条、第97条など全部で103条ある。この際、もう一度目を通してみるのもよいかもしれない。(いや、読もう)

人間は間違うことがある。「憲法」に則って判断し、能動的に意思表明しよう

国民の代表者である議員も人間である。

だから間違うことがある。

選んだ代表者が、憲法に反するような法令をつくったり権力行使をしてしまうことがある。

主権者である我々が選んでおきながら大変残念だが、その場合には、次の選挙で落選させたりするなどして審判を下すことになる。

「私たちの目指しているものと違っていますよ」と。

「国家権力」が暴走する前に、憲法で保障された(みんなが安心して社会生活を送れる)自由や権利(基本的人権)は、主権者である我々が常に努力して行使し続けることで実現されるので、「これは違う方向に向かっているな」と思ったら、声を上げたり、選挙など政治に参加し、我々自身の手で、憲法が本来目指す世の中に近づけていかなければならない。

自分たちの自由や権利を守るためには、「国家権力」の動向チェックをおろそかにできない。

私の身近で話題になる問題に、

・貧困問題(労働環境未整備、税・社会保険料負担は増えるが社会保障が追いつかないなど)
・政党助成金制度の問題(政党支持の自由侵害)
・原発問題(事故による健康被害・環境破壊など)
・日米地位協定に基づき提供されているアメリカ軍及びアメリカ軍基地に由来する問題(事件・事故、健康被害・環境破壊など)
・地域紛争に関する問題

などがある。

主権者である国民の我々は、現在の政府が、これらの問題をどのように対処していくのか次の選挙まで、しっかり注視することが必要になる。

また、その間の「国家権力」(国会(立法権)、内閣(行政権)、裁判所(司法権))の「三権分立」(互いを監視し、国民の権利を守る仕組み)がきちんと機能しているか、他団体による影響がないかも注意しなくてはならない。

メディアは有権者である我々の投票先が間違わないよう、できるだけ多くの複眼的な(海外含む)取材情報を報道してほしいし、我々自身も貪欲にリサーチして判断する必要がある。

選挙(裁判官は国民審査)の他に、政策などに意見やアイデアがあれば、具体的に世論に訴え、連帯して社会運動(メディア・キャンペーン、デモ、集会、署名活動、ボイコット)をしたりして意思表明することもできる。

もちろん、暴力に訴えるのは文化的ではないので、そこは文化の力で訴えよう。
言葉(文章)や漫画、動画にしたりして、ネットで国際社会に訴えることもできる。

できれば、選挙で選んだ国の代表者たちに政治を任せてしまいたいが、我々個々の生活の悩みや問題を全て把握しているわけではないので、能動的に関わっていく必要があるのだと思う。

特に現状に不満はないので投票しないという人は、よく考えてほしい。

周りに問題を抱えている人はいないだろうか? 

或いは、将来に不安は全くないだろうか?

特に支持したい人や政党がないから投票しないという人も、よく考えてほしい。

よく考えたら「この人は国民の代表者として支持したくないな」とか「この政党だけは支持したくない」という場合もあると思う。

そうしたら、その人やその政党勢力をそぐ政党に投票すれば、不満や失望の意思表明ができる。

海外在住者も投票できる。

海外に住む知人は「海外だからこそ自国のことが(客観的に)よく見える」、

また「(日本では流れない)海外視点の日本のニュースにとても考えさせられる」と言っていた。

在外選挙制度について(総務省HPより)

せめて「私たちはあなた方(政府)の動向を見ていますよ」という意味でも選挙に参加し、主権者の役割を果たそう。

もちろん立候補し、議員として憲法を尊重し擁護する義務を負う立場になる、という選択肢もある。

選挙権と被選挙権(総務省HPより)

ある団体の会員から、その団体の支持政党に熱心に投票をお願いされることがある。

知人や親戚、時には家族から。

それでも自分の大切な1票を投ずる先は個人の自由だと思うので、本意でなければ自分の意思を尊重することが本当の自由だと思う。(逆に、自分の支持する政党を相手にプレゼンなどしてしてみるのも、よい議論の機会になるかもしれない。大変だと思うが、相手によっては考えるきっかけにもなり有意義だと思う)

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

日本国憲法第19条

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

日本国憲法第20条

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

日本国憲法第21条

要望を直接述べることのできる「請願」権とその方法

もし我々が、国または地方公共団体の機関に対して、具体的な要望があれば、「請願書」、「陳情書」、「意見書」を出すこともできる。

衆議院 請願・陳情書・意見書の手続(衆議院HPより)

参議院 請願・地方議会からの意見書の提出(参議院HPより)

※地方議会に対する請願は地方自治法及び各議会の会議規則に規定あり

改憲の話題が出たら

「国家権力」が「憲法を変えよう」と言い出したら、まずは、多大な犠牲(戦争)の上につくられた「日本国憲法」をよく噛みしめてみよう。

そして、現在の「憲法」を変える必要があるのかどうか考えてみよう。

また「立憲主義」(「個人の尊重」と「法の支配」)の理念に基づく「日本国憲法」を、慌てて変えようという「国家権力」の理由は何か、「その心は」と何度も問うてみよう。

もしかしたらその問題は、現行憲法の下、「法律」で対処できるかもしれない。

改憲するにしても、国民投票による国民の承認が必要である。

この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
② 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

日本国憲法第96条

憲法改正のための国民投票に関する手続きを定めた現行の「憲法改正国民投票法(2007年5月18日公布、2010年5月18日施行、2014年、2021年改正)」では、投票総数の過半数を満たせば(賛成投票が一票でも多ければ)、少数の国民によって改憲が実現してしまうそうだ。

だから、「有権者総数の●割の賛成」といった絶対得票率の条件を加える必要があるといわれている。

「自然は急がない 有三」

「文化的な憲法」を維持していくために「文化的な意思表明」をしよう

多くの命を失った戦争の後悔から得た決意のもと、いわば先人の命と引き換えに作られた「日本国憲法」を改めて読んでみると、「生きていていいんだよ」「自分の人生を歩んでもいいんだよ」と言われているような気がするのではないだろうか。

これからも我々が「文化の日」を平和に過ごすためには、「文化的な憲法」を維持できるよう、不断の「文化的な努力」が必要なのだろう。

新しい情報ツールもある。

「国家権力」の動向に注目し、「文化的な意思表明努力」(メッセージ発信)をしていきたいと思った。

山本有三記念館

建物について

山本有三が1936年(昭和11年)から1946年(昭和21年)まで、家族と実際に居住した大正末期竣工の洋館。

1994年(平成6年)三鷹市有形文化財に指定されているが、建築設計・施工者不明のため、ぜひ、解明していただきたいところである。

1946年(昭和21年)から1951年(昭和26年)まで、GHQ(連合国最高司令官総司令部)に接収され、高位軍人の住居として使用された。返還時は、壁にペンキを塗られるなど不本意な使われ方をしていたことから、有三が再びこの家で暮らすことはなかったそうだ。(現在は修復されている)

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