【随想】「ドラえもん」の誕生日(9月3日)に思う

どらやきのイラスト Essay

優しいおばあちゃんのような子守ロボット

2023年から89年後の2112年9月3日は、「ドラえもん」の誕生日だ。

本当はまだ生まれていない「ドラえもん」。

それなのに知っている、という考えてみたらすごい不思議(※)なことなのだが、明らかに未来からやってきたとおぼしき存在がそう言うのなら、(大人の事情はさておき)やはりそうなのだろう。

先日、このブログで1970年代の少女漫画を紹介したが、当時の私は「フランス革命」も「光源氏を取り巻く相関図」も全くわからず、正直、漫画の内容をほとんど理解していなかったと思う。

ただ、美しい絵柄がストーリーと共に展開していくのにただただ見惚れ、きらめく世界観に憧れを募らせていたことだけは確かだ。

実際、後年読み返して初めて「こういう話だったのか」と思ったものの方が多かったことをここで打ち明ける。

では、幼少の頃の私が一番心震わせていたのはどんな漫画かというと、「ドラえもん」である。

「ドラえもん」はのび太がどんなにできない子だとしても、絶対的な味方であり、相棒であり、保護者(実際にのび太の玄孫、セワシから、のび太の面倒を見るために未来から送られてきた子守役ロボット)である。

孤独で周りから遅れがちな私が「ドラえもん」に全集中しないわけがない。

「ドラえもん」自体の見た目の可愛さもあるし、どんなに怒ってものび太に対する愛情ゆえだとわかっているから怖くない。

何しろ、どんな話でも聞いてくれる。

その優しさと前ポケットから色々取り出す姿が、なんだかおばあちゃんが割烹着の前ポケットからどら焼きなのか何なのか、私のご機嫌が一瞬でなおりそうな物を取り出して見せるような仕草に似て、ロボットなのにとても温かい。

異世界からの訪問者

P・L・トラヴァースの風に乗ってやってきた不思議な力を持つメアリー・ポピンズや、シャミッソーの『影をなくした男』に出てくる富豪の屋敷で出会った灰色の服を着た奇妙な男も、鞄や上着のポケットから次々と便利なものを取り出して、主人公たちを驚かす。

経験値も浅く世間に疎い純朴な者にとって、夢のような世界を垣間見せてくれるこの異世界からの訪問者たちが、もし身近で愛らしい自分の味方になってくれたらどんなに心強いだろう。

それが、「ドラえもん」だと思う。

藤子不二雄作品には未来などの異世界から家にやってくる居候との話が多い。

私はその背景に作者の戦時中の体験、都会から作者の町に疎開してきた子どもたちが近隣の家に大勢いた中で過ごした子供時代の影響があるのでは、と思っている。

漫画の中で、戦争が愚かなことだと訴えているエピソードも多い。

私たち一人ひとりにセワシのような子孫がいて、それぞれが「ドラえもん」を送ってくれたらどんなにいいだろうかと思うが、残念ながら現実の身近では聞かない。

ただ、「ドラえもん」が出してくれたひみつ道具の中には、既に実現化されているものもある。

漫画のエピソードでは、本当にこのひみつ道具があってよかったと思うこともあれば、ひみつ道具で問題が解決した後、調子に乗ったのび太が道具に振り回される結果になることも多い。

便利な道具は諸刃の剣でもある。

だから「使い方には十分気を付けて」と言っているようでもある。

現実では「ドラえもん」に頼ることはできないが、「ドラえもん」がなぜ未来からやってきたのかを考える誕生日には、「便利な道具に振り回されることなく平和のために使い、未来への憂いを少しでもなくしてほしい」というメッセージを思い出す日になった気がする。

ここまで書いてどら焼きが食べたくなったので、今日のおやつはどら焼きにして、誕生日を寿ぎたいと思う。

「ドラえもん」、お誕生日おめでとう!

※ちなみに「すこしふしぎ」の略「SF」は、漫画『ドラえもん』の著者、藤子・F・不二雄氏が提唱したジャンルで、「ありふれた日常の中に紛れ込む非日常的な事象」と定義されている。
『ドラえもん』は、この定義によるSF作品。

*本記事は、2023年9月3日作成。

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